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2017-05-16 why

 嬉しくて嬉しくて 言葉にできない

 

言葉にできないのは何故だろう

その感情を表せる言葉が存在しないからなのか

言葉そのものは存在はするがそれを上手く表現できないからなのか

例えば泣いて上手く話せないように、感情がたかぶりすぎて話せないからなのか

 

言葉にして表現したところで、それは言葉でしかないわけで

私の感じた感情ではない

伝えられた言葉から掴み取れる感情と、私の感じた感情は一致しない

だから、この感情は"言葉にできない"なのではないか

 

2013-03-24 I know…?

 

「人の気持ちがわかる人になりなさい」

なんて昔、小学校の先生に言われた覚えがあるけれど、人の気持ちを分かることは出来ないと思っている。友達でも恋人でも家族でも、自分と相手は違う人間なんだから気持ちを理解することは、その人自身になるか神様にでもならない限り無理だろう。

例え、何千何万と言葉を交わしていたとしても、例えばその人が悲しいと言っていた場合に、どれほどの悲しみがその人を襲っているのかなんて、推測することしか出来ない。

推測してもそれが当たっているのかなんて確かめる術はない。だからこそ言葉をこれでもかと言うくらい尽くして、1mmでも相手に近づき、相手の気持ちを汲みとるしかない。「察して」なんていうのは、コミュニケーションの放棄でしかなく、主導権は渡さずに責任だけを相手に押し付ける言葉ではないだろうか。

 

言葉が足りないと思ったなら、足りなかった分だけ後から付け足せばいい。

感情に言葉が振り回されてしまったなら、時間をおいて言葉を紡げばいい。

 

2013-03-19 Walk around

東京にいた頃、僕はよく散歩に出かけた。

 

僕の住んでいたアパートはごちゃごちゃとした住宅街にあって、地元の札幌みたいに綺麗な碁盤の目になっておらず、道が入り組んでいてとても新鮮だった。下町、とまではいかないけれど、あの混みあった雰囲気が人の生活感を漂わせていて、僕を落ち着かせてくれた。

 

映画を観に行くときは必ずTOHOシネマズ日本橋を選んでいた。新宿とか池袋とか豊洲とかの映画館には一応行ってみたけれど、なんだか、こう、しっくりこなかった。TOHOシネマズ日本橋のあるコレド室町とその周辺の建物は、昔ながらの和のテイストが外装に施されていて、都会じゃないような、都会ならではのような、そんな感じが好きだった。

 

金曜日の会社帰りには、少し遠回りだけど隅田川沿いに歩いて月島まで行き、東京メトロで帰っていた。現場が八丁堀だったときも、新川を通り月島まで歩いていた。月島と新川周辺は「3月のライオン」の舞台になっていて、中央大橋を渡りながらここを主人公の桐山零が歩いたんだなぁとか思いながら少しむず痒くなったりした。

 

新宿御苑には三回、訪れた。

存在は以前から知っていたが、行きたいと思うようになったのは「言の葉の庭」を鑑賞してからだった。一度目は友人が東京へ遊びにきたときに、二度目は秋に、三度目は梅雨に入る少し前に行った。

言の葉の庭」と同じように梅雨の時期に行きたかったのだけれど、仕事が忙しくてそうならなかったのが残念。ビニール傘ではないお気に入りの傘を差しながら、園内の写真を撮りたかったなぁと思う。

一度目に行ったときはとてもよく晴れた夏の日で、友人と談笑しながら歩き回り、売店で買ったサイダーが疲れた体によくしみたのを覚えている。

 

歩くことがあまり苦だとは思わないのは何故だろうと考えるが、気付いたらそうだったとしか言えなくて、なんとも面白くない。ただ、高校時代に冬道を登下校で嫌と言うほど歩いたので、それが要因の一つにはなっているのかなぁと思ったりもする。